藍染について

藍染の歴史

藍染の始まり

藍染は奈良時代に中国から朝鮮半島を経由して日本に伝わったそうです。伝わったのはタデ科の植物、タデ藍だったといわれています(藍染の布は正倉院にも保存されています)。
古来より藍で染めた布には抗菌作用や消臭効果に優れているといわれ、虫食いを受けにくいことから長期にわたって保存性が高いといわれます。 日本人の生活に取り入れられ、寄り添ってきました。

天然にこだわったびぜんやの藍染原料

すくもの製造

中でも、四国・徳島藩(峰須賀家)は藩の殖産として藍の栽培~ 「すくも」製造を奨励し、江戸中期には上質な「すくも」を製造することで全国の市場を独占し、徳島藩の大きな財源になります。そのために、他国で「すくも」が製造されるようになっては困ることから、藍種を藩外に持ち出すことは禁じられ、持ち出すことは重罪だったそうです。
「藍染」=「四国・徳島県」のイメージがあるのは、「すくも」製造が有名だったからで、徳島県に藍染を行う「紺屋」が集中していたのではありません。
「すくも」をこしらえる「藍屋」(作る人を「藍師」といいます)、「藍染」を行う「紺屋」(藍染料をこしらえ、藍染作業を行う人を「染師」といいます)は昔から分業で行われています。
「すくも」の製造はおおよそ次のように行われます。例年3月の彼岸頃に藍種をまき~7月に成長した葉の取り入れ~天日で乾燥~9月より4トン近くの量の藍の葉を製造の小屋で寝かせこんで約3ヶ月をかけて製造されます。むらなく発酵するように何度も切り返す(切り返し=混ぜることです)そうです。「すくも」はアルカリ性の溶液で還元することで発酵してインディゴ色素が生まれて藍染料になります。藍染は布を藍染料に浸し、取り出して空気(水)さらすことで酸化発色をします。これが1工程で、工程数が増えるほど濃い藍色になります。 藍で染めた布には抗菌作用や消臭効果が優れているといわれますが、これらの効果は昔ながらの「すくも」を使用しての藍染のものであり、「化学藍」の藍染にはありません。

佐藤阿波藍造所

佐藤阿波藍製造所の佐藤昭人氏は19代目。江戸期より「藍屋」として「すくも」製造を続けている佐藤家、藍(日本はタデ科)は1年草なので、2年以後は発芽率が極端に悪くなります。藍栽培が禁止された第2次世界大戦中、佐藤家は山奥でひっそりと藍の栽培を続け、藍種をとり続けたそうです。熟練技術者~現代の名工に選定されるほどですから、「すくも」作りは熟練の技術と伝統に支えられていると思います。 江戸期には藩の財政を支えるほどの産業だった「藍屋」による「すくも」づくりは、明治時代後期に開発された「化学藍」(化学合成された藍染料)が「藍染」の主流となり、衰退してゆきます。
現在では佐藤家をはじめ数件の「藍屋」が残るだけになりました。また藍師の高齢化により年々生産量は減少しています。
びぜんやでは、佐藤阿波藍製造所の「くすも」を使用しています。

天然灰汁発酵建藍染とは

天然灰汁発酵建技法はアルカリ性溶液に灰汁を用います。高アルカリが必要なため樫・檜などの本の本灰を使用します。藍染料を1回こしらえるにあたり、約20kgの木灰が必要です。
この木灰にお湯を入れ撹拌します。1時間半ほどで木灰は沈殿し、この上澄み液が灰汁(あく)です。1番灰汁から5番灰汁までアルカリ濃度の違う灰汁を取ります。「すくも」にこの灰汁を加えることで「すくも」は還元作用を起こし発酵します。他に石灰や数(ふすま=小麦の糠)などをしようして藍染料を作ります。藍染料を作ることを、藍を「建てる(たてる)」と言います。「発酵建」の「建(だて)」はここから由来しています。2週間ほどの期間で発酵し、藍染料が出来上がります。
当工房の藍瓶は徳島県鳴門の大谷焼の瓶です。容量は約300リットルです。この技法は大量の本灰を必要とするため、良質な木灰の入手が難しくなった現在は木灰の代用として化学薬品を使用する工房もあります。それでは「すくも」を使用するだけの価値が半減してしまいますし、化学薬品を使用した藍染料では素手での作業は恐ろしくて出来ません。
徳島県の佐藤阿波藍製造所から「すくも」を分けていただく際に約束があります。佐藤氏とは「灰汁発酵建を守り続けてください。灰汁の代用で化学薬品を使った化学建は絶対にしないでください」と約束を交わしています。
希少性の高い天然灰汁発酵建藍染を行っていることで、化学染料や薬品を使用した製法との差別化を図り、当工房の製品をご愛用いただくお客様の満足度を高めてきました。

豊後国(大分県)は絞り染めの元祖

藍染は、絞り染め技法を使った製品に人気があります。絞り染めで全国的に有名なのは愛知県の有松・鳴海地区です。経済産業省の伝統的工芸品に指定されているほどです。ここへは江戸初期の1655(万治元)年に豊後国(大分県)の三浦某(医師・三浦玄忠との説あり)の妻が絞りの技法を伝えたとされています。また、三浦某が江戸からの旅の途中の鳴海宿で病となり、鳴海の人々から受けた看護の御礼として絞りの技法を伝えたとの説もあります。鳴海では三浦某の妻を鳴海絞りの開祖として伝え、記念碑を建て顕彰しています。
三浦某の妻が伝えたことから、この絞り技法は「三浦絞り」と呼ばれ、豊後国(大分県)の出身であったことから「豊後(ぶんご)」とも呼ばれています。
当工房では、創業当時より絞り染めに注目し、絞り技法「三浦絞り」が大分県に「縁」があったことを大切にしてきました。私自身が30年にわたって「三浦絞り」をはじめ、多数の技法の絞り染めに取り組んできました。藍染体験教室(後述)を通して絞り染めの楽しさを感じてもらい、技術的なことも伝えて参ります。

藍の手 素手で作業をするため、手が藍色に染まります。

工房で染色作業中(多田利浩)

藍甕 藍の華

藍染工房びぜんや

藍染工房びぜんや は昔ながらの技法「天然灰汁発酵建」で藍染料をこしらえています。原料の蒅は徳島県の佐藤阿波藍製造所のものを使用しています。化学薬品を一切使用しない染料です。地球環境にも優しく、廃液は全て土に還ります。SDG's(持続可能な開発目標)に賛同し染色の分野で可能な限り寄与できればと考えています。

製品の縫製は・・・

縫製は外部へ発注するのではなく、当工房専属の縫製担当(現在7名)が流れ作業ではなく、生地の裁断~縫製~製品仕上げまで「ひとり」で一貫して行います。完成後の検査を私(多田利浩)が必ず行い、製品に不具合が見つかった場合は担当した者にが手直しを行います。流れ作業ではどの工程で不具合が生じたのか判明しにくいためです。このことによりクオリティの高い縫製が可能になり、お客様のリピート購入につながってきました。
お客様のお好みのデザイン・サイズによるオーダーメイドによるお仕立て、購入後15年以上経過した製品でも可能な限りの修理を行い、長期にわたってご愛用いただけるお手伝いも行っています。小回りのきく工房ならではの強みです。